2014年3月13日木曜日

ブランクーシの言葉


ここ数週間、心にくることが多く、今日は雨が降ったので家でじっと本を読んだりしていた。

以前から気になっていた作家さんが、うれしいことに作品を購入してくださったので、作品を手渡しに行った。
アトリエを少し見せていただいた。
大変わがままなお願いでした。
1人の世界から私と研二郎を迎えてくれたので、目が光に慣れていないような、そんな顔で迎えてくださった。
いろいろな話をした。
作ることを続ける、闘っている目をして、笑顔はすごくやさしくて、本当の意味での迷いはないような人でした。
http://tacasi.blog.fc2.com/

その前の日は、畑をはじめるきっかけをくれた人に会いに。
ずっとやりたかったのだけど、場所がない。それが道端でばったり会った知り合いが貸してくれることに。
なんて嬉しいことだろう!しかもその近くで広い一軒家をみつけた。

想うことがするすると決まって動かされていくような。
不思議。

私が大好きなブランクーシは自給自足の生活をベースに生活をしていたそうだ。
画集を読んでいて、衝撃的な言葉があった。

ブランクーシの言葉
『大衆の無意識の芸術(私たちが民俗芸術と呼んでいるもの)やあちこちで少数の個人が成し遂げたものをのぞくと、諸芸術はそれだけで存在してきたことはなかったのです。それらは、いつでも、宗教の添え物[あるいは、付属品]だったのです。宗教をひとつひとつみるたびに、きわめて美しいものがつくられ、そのあとに退廃が続きのを、私たちは、まのあたりにしてきたのです。
こうした宗教の産物を普遍的な芸術と見なすことはできません。水は、いつでも水なのです。とはいえ、そのたびに、アルカリ性であったり、鉄分や硫黄分を含んでいたりして、質は異なっています。私たちは、誰もが飲むことのできる純粋な水の水源を探さなければなりません。
芸術は生まれようとしているのです。ひとたび、宗教や哲学から解放されれば、芸術は、世界を救済しうる唯一のものなのです。芸術は、難破のあとに、人を救う厚板なのです・・・・・』

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